ゆるく考えよう

id:Chikirin の「ゆるく考えよう」、の目次。
後でブログと本でどう中身を書き換えてるのか、見る。


まだ買ってない人へ。webで読むより本で読んだほうがよかったかも。

    1. 挑発的な物言いなどはかなり柔らかく置き換えられており変にモヤッとしない
    2. 話の枕が今にあわせたものになっている。
    3. タイトリングもキャッチーでわかりやすいものになっている
    4. 装丁も結構かわいい

とかの理由で。
dankogaiの本のときもそう思ったんだよな…。私が紙の本が好きなだけかも。

ストレスフリーで楽しく過ごす

おいしい人生
お酒と恋愛のマジックパワー
コミュニケーション成立比率100%
分を知る
相手の受信体を理解する
性格は変えられる
自分にとっての「妥当な値段」
運命と戦うか、受け入れるか
結婚するもしないも個人の自由
「自分の表現方法」と出会う
旅の効用

ブクマ数との対応

2011/02/17分

各章の頭としっぽにブクマを大量に採った記事を配置しているとみるべき?
ストレスフリーで楽しく過ごすの章がブクマ少なめの記事でまとまっているのは、はてなーの嗜好の偏り?

はじめて気付いたけどちきりんさんのアイコンの服にはアルファベットでちきりんて書いてあるんだなあ…。

テキサスホールデムのお話

最近ポーカーにハマっている。
ドローポーカー(5枚引いて好きな枚数取り替えるっていう日本で一般的なやつ)じゃなくて、テキサスホールデムっていうルールで。
なかなか勝てないので色々考えるついでに資料を作ってみた。


下記は各ステップで10以上のカードが手札+場に何枚存在するかの期待値表である。
あくまで期待値なのでブレはあるが、何らかの示唆はあるかもしれない。


ヘッズアップでハイカードによる勝利を目指そうとしたとき、
手札と場を含めてAが含まれている期待値は0.7くらいなので
自分の手札にAがある場合はハイカード勝負でもなんとかなるかもしれない。
(期待値的にはそんな感じになっている)
少なくともフロップを見に行ける手札ではあるということだろう。
A+ハイカードであればもっとはっきり勝負にいけるだろう。
手札とフロップで少なくともワンペアが成立する確率は32%程度らしいので。
Aのペアならワンペアには勝算が高いし、
イカードのペアでもそれが場の最大値のカードならキッカーで勝てる。


もちろん、ポケットペアが入っている場合は勝率がぜんぜん違ってくる。
ポケットペア:ワンオーバーカードの場合勝率は 69%:31%。
ポケットペア:ツーオーバーカードの場合勝率は 55%:45%になる。
ポケットペア:ハイカードのスーテッドコネクタの場合 50%:50%になる。
ペア、もしくはAを含むカード(ワンorツーオーバーカード)が手札にくる確率は合計して20%になる。


ヘッズアップで弱いカードではそもそも乗ってこないだろうから
フロップを見に来た段階で相手もさほど弱いカードではないことが解る。
ポケットペアやハイカード同士なら強く勝負に出てくるだろうし、
イカード+T以下のようなハンドであればフロップまでは見に来るだろう。


ドミネーティングハンドの場合71%の確率で勝てる。
次はそれぞれの手札でドミネートできる確率について考えてみたいと思う。

Togetterユーザが爆発的に増えた理由 : #twitterconf @yositosiのプレゼン感想

テンプレ

第2回Twitter研究会の感想(≠まとめ)です。
発表そのものはustとかtogetterとか転がってると思うので適当に探して見てください。

プレゼンの内容

つぶやきマッシュアップサービスであるトゥギャッターを 様々な側面から考察し、ニューメディアとしての可能性に ついてお話したいと思います。さらに、トゥギャッターの活用事例や 今後の展開についてもお話できればと思います。


@yositosiさんによれば、Togetterユーザが爆発的に増えたキッカケになったまとめが2つあるらしい。
1つがTogetter - 「イラストの商業誌無料掲載に関するTL」
1つが大企業も使う個人サービス Twitterまとめ「Togetter」を作る人 (1/2) - ITmedia Newsなんだそうだ。


 それぞれが面白そうな、強力なコンテンツではあると思うのだけど、面白いと言うだけなら他のまとめにも面白いものはたくさんある、のに、なぜこれらのまとめが大量にユーザを惹きつけることが出来たのか。


 多分「既に顧客がかたまっているところに営業をかけた」から、だと思う。


 前者はpixivに、後者は@masasonに絡んだコミュニティが既に固められていて、そこにヒットするまとめが作られたので一気にユーザが流れ込んだのではないか。


 フローメディア・twitter : #twitterconf @pstyのプレゼン感想 - 40日だけの菜食主義者でも書いたけど、ユーザ自身が情報を入力して勝手に成長するタイプのサービスが使われ続けるためには、一定数のユーザ、ユーザが率先して書き込むメリットが必要だ。


 ここでいうメリットとは、「誰かに見てもらえるから」書き込む。「誰かに繋がれるから」書き込む。「誰かの役に立つから」書き込む。貴重な時間を割いてまで。こういうの、ウィキノミクスっていうんでしたっけ。


 ところが、「役に立つ」ためには「面白い」ためには、書き込むユーザだけでなく、読むユーザのほうにもある種のリテラシ、背景となるコンテキストの理解が共有されていなければならない。エヴァ見てない人にエヴァの話をしても深まらない。スターウォーズ見てない人にスターウォーズの話をしても広がらない。


 この共通認識を持たない人をたくさん集めても広がらないし深まらないので、コミュニティが育たない。ならば、コミュニティの外から共通認識を既に持っている人をブッこ抜いてくれば、こういう手間をかけずに、効率的にコミュニティの核を作ることが出来る。

共通認識の深さと身内感

 ところで共通認識といっても色々あって、深くて狭いほど「身内感」が出ると思う。


 yositosiさんのオススメのまとめに、
Togetter - 「こい!こい!」
っていうのがあるそうだ。このまとめを「面白い」と感じるためには、サマーウォーズについて知っていたほうがよい。テレビで見ながら実況的に参加していればもっと深く感動できただろう。koizukaさんを知っているとまた違った風に読める。まとめた人がamachangというところで、また違う意図が読みとめるかもしれない。


 このまとめを深く面白いと感じるためには、かなり複雑で重層的な共通認識が必要となる。こういう、縛りが強力な「モノ」を媒体に共感すると、身内感、仲間感が強力になるように思う。

フローメディア・twitter : #twitterconf @pstyのプレゼン感想

テンプレ

第2回Twitter研究会の感想(≠まとめ)です。
発表そのものはustとかtogetterとか転がってると思うので適当に探して見てください。

プレゼンの内容

楽天での社内Twitterの取り組みは「ウィキノミクスの思想を 会社に取り入れる」というお題から、社長と社員のコラボレーション で始まりました。製品導入(テスト中)の中での、Twitterの評価点は何か? の気づきと奮闘を共有させていただきたいと思います。

フロー情報としてのtwitter

 社内のフロー情報を交換するツールとしてtwitterの仕組みが秀逸ですね、という話。ここでいうフロー情報とは給湯室の会話的な業務未満の情報のことだと思う。


 フロー情報が継続的に流れ続けるためにはtwitterでいうところのタイムラインの流量が必要。タイムラインの流量は参加者の人数×post数だから、まとまった数の参加者が必要。まとまった数の参加者を生み出すためには、2つ条件があると思う。


 1つはユーザにとってのメリット。1人辺りのpost量に影響する。何らかのメリットがあればユーザは率先してツールを利用する。この場合のメリットって損得以外の、楽しいとか私役立ってる感みたいなもの。*1


 もう1つが先述の学習コスト。参加者の人数に影響する。twitterを利用する上で覚えなければいけないお作法はあまりないので、すぐ使える。


 この両方が噛み合ってなければ駄目で、前者だけでは広く普及しないのでフロー情報を交換するツールとしては役だたず、後者だけではすぐタイムラインが詰まる。

なぜ給湯室の会話が重要なのか

 ところでそもそもフロー情報を循環させなければならない理由は何かというと、それは身内になれるから、だと思う。


 かつて中国出身の友人に聞いたことには、日本の企業は外様に対して情報共有をしぶる傾向が強いんだそうだ。身内になるまでの時間がかかりすぎるので、「普通の人」が戦力になるまで時間が余分にかかっている気がする、んだそうだ。


 で、身内になるためには共通体験をしなきゃいけないんだけど、それが発生する率を上げるためには、フロー情報を高速で流すのがよい、と言うことなのだと思う。


 これは普通に考えれば自明のことかと思うのだけど、にもかかわらず、これらの話は形式知化されていないので、「業務にどういう風に役立つの?」みたいな質問が出てくる。速効性があまりなく、また情報漏えいなどのデメリットがあること、また会社主導でこういうことを始めても、「監視されてる感」があるからかな、と思う。また、「業務に関係ないことはどうかと思う」みたいな雰囲気が強いとこれはブレーキになる。また、その他の待遇面が芳しくなく、このチームに深入りしてもメリットがない、と構成員が感じてしまっているような場合も同じくブレーキになるだろう。

ストック情報への転換

 フローに対してストックという言葉がある。フロー情報の中で後に役立つような情報に関しては蓄積・ストックしていくことで情報共有を円滑に仕様という試みだ。


 フローとストックの比較はタテ・ヨコの軸で考えると解りやすいと思う。フロー、横軸というのは「今」何が起こっているのかを水平に伝える機能。ストック、横軸というのは「過去」「未来」にどんな情報が有用か、どんな経緯があって今があるのか伝える機能だ。

 
 twitterでこのフローのストック化を担っているものは大きく分けて二つあると思う。1つが Favotter/favstarなどのふぁぼりの蓄積サービスやbuzztterなどの大まかなTLの流れを読むサービスTL全てが読めなくてもハイライト的にフロー情報がキャッチできるというもの。もう1つがtogetterだ。これはpost同士の関連性を有る程度関連付けながら保存できる。


 個人的にはこれらのサービスと噛み合せて初めてフロー情報が有効になってくるように思う。現状のtwitterコピー系のサービスはtwitter的な機能だけで完結してしまっておりこの辺の連携までは徹底されていないように感じる。


 twitterAPIを駆使してさまざまな外部サービスと連携できる、その拡張性も大きなポイントのように思われる。フローが適切に循環し始めたら、フローからストックへの流れを円滑化する仕組みが、次に考えられるべきなのかな、と思った。

*1:モチベーション3.0参照

禍福共有装置としてのtwitter : #twitterconf @tksakakiのプレゼン感想

テンプレ

第2回Twitter研究会の感想(≠まとめ)です。
発表そのものはustとかtogetterとか転がってると思うので適当に探して見てください。

プレゼンの内容

Twitterの持つリアルタイム性を生かし、キーワードと時間的な近さを生かしたリアルタイムなイベント検出の手法、 さらに位置情報を元にしたイベント位置推定手法について提案、実システムの紹介します。 また、派生研究として Twitter上でのイベント伝播の特徴について紹介します。

twitterで禍福を共有しよう

 人間がtwitterでpostする行為をセンサーに見立て、地震や虹が観測された場所を地図と紐付け可視化するサービスを研究しておられるらしい。この試みそのものはさまざまに応用できそうだ。


 この技術そのものは間違いなく面白い。が、それ以上に私が面白い、と感じたのは、「虹」や「地震」の情報を共有すると、私自身が「なぜ面白いと感じたのか」ということだった。一言で言えば、「身内の幸せや不幸(イベント)を共有するサービスはウケる」ということなのだけど。


 このテーマを説明するのに便利な例えは、MMO、ネットゲームだろうか。私はネットゲームはぶっちゃけると、チャットソフトだと思っている。ゲームの部分は、チャットのネタとなる共通体験を提供しているに過ぎない、と。これまで面識のない誰かが出会って会話をするためには、共通の話題が必要になる。今日混んでますね、とか○○の狩り場美味しいけど行ってみた?とかそういうことだ。


 これをなしにチャット空間を作ろうとすると、話題別に部屋を作るなどしてユーザを振り分けてやる必要がある。もちろんそういう戦略もあるけど、これだと人気のない話題の部屋は閑散としてしまうし、第一完全に「待ち」の戦略になってしまう。


 共通の話題がなければ会話は始まらないのは現実でも同じだ。天候や災害、事件などは、共通の話題として使える可能性が高い。だから「暑いですね」「雨ですね」とかから会話を始めるのことはある種のテンプレになっている。だから「使える」。


 そういう意味で言えば、冒頭「身内の幸せや不幸(イベント)を共有するサービスはウケる」と書いたが、本当はむしろ逆なのだと思う。「幸せや不幸(イベント)を共有したから身内になれる」のではないだろうか?そして、身内になるために、それらの話題を使う。こう逆転させて考えるとスッキリ理解できるように思うのだけど。


 この仮説が正しいとして、この共通体験、会話のネタを作り出す役割は、ちょっと前までテレビが担っていた。昨日のドラマ見た?とか今朝のニュース見た?とかそういう切り出しは、メディアが共通体験を担保していたからこそ可能になる。今でも映画やドラマ、アニメなど、いくつかの分野ではこの力は健在だ。また昨今では有名サイト、ブログ、あるいははてなホッテントリとか、Mixiニュースとか、こういうメディアがその役割を果たしている。


 ところがテレビ的な話題提供型メディアにも弱い側面がある。テレビ的なメディアは、語られる内容は統制できても、語られる場所は統制できないということだ。この両方を抑えると、一回顧客が根付くと長期にわたって顧客を囲い込むことが出来る。顧客同士を結び付かせ、身内同士にすることで、集団から抜けにくくすることが出来るからだ。twitterはこの、顧客を相互に縛り付ける場として現状、強力に機能しているように思う。


 語られる場所が既に出来あがっている場合には、そこに住む人々が便利に引用しやすい共通体験を作ってあげればよいので、比較的少ない力で顧客を根付かせることができるのではないだろうか。虹ったーや地震ったーはこれになりうる。だから面白い、と思うのだけど、どうだろう?

実名匿名仮名顕名 : #twitterconf @oritakoのプレゼン感想

テンプレ

第2回Twitter研究会の感想(≠まとめ)です。
発表そのものはustとかtogetterとか転がってると思うので適当に探して見てください。

プレゼンの内容

実名を名乗るか、ニックネームを名乗るか。Twitterにどんなことを書くか。
そうしたことに気をつけていても、Twitterからはいろいろな情報を読み取ることができます。
一旦サービスを使い始めれば、投稿の有無、投稿の時刻、投稿元のデバイスなど、利用者は無意識に様々な情報を自分から公開しています。

今回は、そうした意図的もしくは無意識に発信される情報について整理しつつ、それらによってもたらされるメリットを活かし、意図せぬトラブルを避けるための使い方について検討します。

ID制は匿名ではない

 twitterを筆頭に、ライフログサービスで日々発信されている膨大な情報からは、様々な意味を読み取ることが出来る。

 例えばpostしている時間が少ない時間帯は寝ているのだろう、とか、土日は発言が少ないから遊びに出かけていることが多いのだな、とか。

参考
Twitter Charts : http://www.xefer.com/twitter/

 あるいはオフ会の会場と「今出発した」postや沿線情報などを組み合わせると大体の居住地が特定できる可能性がある。foursquareとかロケタッチなどのソーシャルジオメディアを使っているユーザの場合はもっと簡単に特定できる。bioに実名所属書かれてました、なんてケースは言わずもがな。


 2ちゃんねるではトリップやコテハンを使わずに利用している間は、IDという「仮名」と「発言ログ」の紐付けが1日でリセットされる。つまり24時間分のログからしか「中の人」に到達することができない*1。一方twitterなどでは自動的に仮名がリセットされるというようなことがないので、利用すればするほど「中の人」に到達される率が高まってしまう。常時コテハンで情報を垂れ流しているようなもの。*2


 そういうわけでIDは匿名でなく仮名、と考えると「中学生だけど喫煙」とか「2週間通いつめて小説読破するよ」とかあまり気軽に変なことは言えなくなることが分かる。センシティブな話題で議論、会話したいのであれば、むしろ2ちゃんねるの方が適切な空間で有ると言えるかもしれない。


 ここまでの教訓を一言で言えば「仮名は、使い込むほどに『中の人』との紐付けが強力になる。」ということになるだろう。まあ、ここまでは一般的なことだ。が、この話を聞いて私が気になるのは、個人情報を垂れ流すことによって人間関係を構築・維持している層のことだ。

個人情報の晒しあい≒信頼の表明という文脈

 ここで想定しているのは次のような人たちだ。「学校や職場に不満があるので、ネットで結縁して新しいコミュニティに【現実世界でも】繋がりたい」と思っているような人々だ。このような人たちは、「中の人」に到達されたくないはずだが、新しいコミュニティに参加するために、「中の人」に到達されるヒントとなるような個人情報を差し出す必要がある。おいくつなんですか、何線で帰るのですか、土日はお休みとれるの、この夏は実家に帰ったりしました?といった質問を重ねることで、かなり色々なことが分かる。


 このような質問に正直に答えれば答えるほど個人情報が引き抜かれるわけだが、その人個人の欲求としては、新しいコミュニティに所属したい、という欲求があるわけだから、リスクを犯して情報を差し出さざるを得ない。毎回適当なことを喋る人、みたいなキャラ設定にすることもできるけど、それだと長期的な関係が結べる割合は下がる。


 なんていうと、極端な例に感じられるかもしれないが、では出会い系に例えてみたらどうだろう。自分に都合のよい相手を探すためには、信頼されるためには、写真を出したり、大体の居住地を公開するなりしなければ、なかなか良い相手と出会うのは難しいだろう。では会いましょうという段階になれば、お互いが会うのに都合のよい場所を交渉するために、自分の情報を更に提示しなければならない。休日や定時などの、勤退情報も引き出せる可能性がある。この例え話をオフ会に置き換えてみれば、もう少し身近に感じられると思うのだが、どうだろうか。


 信頼できない奴に個人情報を漏らすのはアホwというツッコミをするのは簡単だ。が、「信頼したから話した」のだし、なぜ信用してしまったのか、と問うのは基本的に無意味だと私は思う。加えてそもそも相手は騙そうとしていない、悪意が無くても、個人情報の晒しあい≒信頼の表明という文脈の中では、個人情報を晒さざるを得ない。自分の信条とは別に、相手があることなので、相手がある程度それを求めてくる場合には、ある程度応じなければならない。


 そういう奴と付き合うなアホがw というツッコミもナンセンス。付き合いたい、が先にあるのだから。自分からリスクに目を瞑って事故りに行くものは耐えない。また、仮名と匿名の区別がついていないと、そもそもリスクが認識できない。そういう人を情弱と笑うのも簡単だが、お金やコミュニケーションへの渇望は、経験が少ない若い世代にありがちなことのように思う。


 そもそもネットだけで話せばいいじゃんw出会い系とかwwwクズwww 的なツッコミは誠にごもっとも。だけど、そこまで達観できるほど、「普通の人々」は人生捨てられないのですよね。

解答例

 じゃあどうすればいいのって、そのような中でトラブルを起こさないために、いくつか、思いついた対処法、解答例を書いておく。

 1つは気をつけながら発信しましょう、だけど、まあこれは普通みんなやってるしやってても死ぬときは死ぬので、言っても言わなくてもいっしょ。

 1つは発信しない、非公開な場所でのみ話す。燃える素材がなければ発火しないのでどうということもない。

 1つ、大量にブラフの情報を発信する。燃えにくい素材を間に噛ませておけば本体に延焼するまでに逃げられるのでどうということもない。

 1つは中の人バレしても問題ないくらい、コミュニティの中心人物になること。多少燃えても信者がカヴァしてくれるのでどうということもない。

 1つは中の人バレしても問題ないくらい、普段から「何も持たない」こと。職も家族も居なければ延焼先がないのでどうということもない。

 1つは燃えても気にしない。全ては認識の問題なので、火だるまになっていても気にしなければどうということもない。

*1:もちろんIPなどの情報は裏に残っているので、そういう意味のリスクは変わりません

*2:情シス系の人にはアカウント・プロビジョニングの話です、必要以上に長いライフサイクルのアカウント用意してるとセキュアじゃないですよね、とか説明した方が解り良いかもだけど。

東京的なるもの と その信者たちの衰退

「田舎のジャスコは「擬似東京」!渋谷=三重のジャスコ。レベル的に。」
何でもある田舎のジャスコと、東京を知る人と知らない人との格差
トカイとイナカとジャスコ


上記のまとめ、エントリを受けて。

ジャスコがもたらすもの

 上記のエントリなどで「ジャスコ」は、いわゆる複合商業施設の代名詞のように扱われているように思う。ショッピングセンターをはじめ飲食施設や映画館などの娯楽施設といった複数の施設が集まっており、ファッション、CD、書籍などを扱うショップ、ドラッグストア、カフェ、映画館やゲームセンターなどが併設されている場合もある。およそ生活に必要なショップが一箇所に揃い、一つの街のような体を成すこのような業態は、「そこにいけばたいていのものが揃う」というメリットを背景にして、集客力向上のために採用されている。


 ジャスコ的な施設は大きく分けて二つの恩恵をもたらす。一つは従来のスーパーマーケットのように生活品を一度に調達出来ること。一つは、ファッションや映画、音楽といった東京的な文化を享受できること。この、後者の機能を指して、「 「擬似東京」」ということもできるだろう。*1この機能を以って、ジャスコは東京に繋がっている。より高度で、文化的で、進歩的で、洗練された街、東京に。東京的な文化に憧れる地方の人々は、ジャスコで東京を夢見る。


 しかし、彼らは、何を基に「本物の東京」を夢見るのだろう?私は、メディアだと思っている。テレビ、雑誌、映画、ネットから得ることが出来る断片的な情報をもとに、地方の人々は理想の東京を脳内に形作る。例えば月9ドラマのワンシーンから。雰囲気のあるディナーを。琥珀色のシャンパンに浮かぶ気泡を。夜景をバックにした素敵な告白を。東京的な文化に包まれ、東京的なファッションを身につけた自分を。完璧に理想的で、そしてだからこそ歪な、東京の偶像を。


 そして、これが今回書きたかったことだが、この構図は宗教にとてもよく似ている。

「東京的なるもの」を信仰する敬虔な信者としての田舎者

 メディアは実に効率的に「東京的なるもの」がいかに素晴らしいか布教してきた。進歩的で今風の人間とは、敬虔な「東京的なるもの教徒」とはどのようなものか解りやすく説明するために様々な戒律も作った。持ち家を、車を、学歴を、一流企業を、ブランドを、マナーを、音楽を、映画を、書籍を、所有し、収集するべきだと戒律を定め、代金をせしめた。そのような修行を積むことによって幸福が訪れますと熱心に、「大量宣伝・大量販売」と言う名の布教を続けた。


 この過程で、あらゆるものに「付加価値」がつけられる。東京と言う街は 付加価値の坩堝として、"ただ物体として都市であるだけでなく、あらゆるものに何らかの付加価値、メタ情報を付加されているようになった。付加価値を生産し続ける巨大な工場として東京は機能している。


 このような宗教活動の中で、ジャスコは教会の役割を果たす。地方に「東京的なるもの」を信仰するための窓となって展開し、人々の信仰心を満たした。今日、この努力が実り、地方と東京のタイムラグがほとんど無くなるまで、このネットワークは発展を遂げた。東京で新たな戒律が定まると、地方はすぐさまそれに倣うことができるようになった。なんでも東京のように出来る僕たちの理想的な町。ファスト風土が田舎を侵略する。


 しかし、ジャスコがもたらすものはあくまで本物の模倣、コピーでしかない。というより、ジャスコは東京のコピーであるからこそ、コピーできるものしか扱うことが出来ない。それはファッションであったり、音楽であったり、ゲームであったり、映画であったり、書籍であったりする。そして、人々はコピーでは満足できない。。 「本物」信仰は根深い人間的本能である。だから、東京に憧れ続ける。物質としては地方にいながらにして同様の物が手に入るというのに東京に憧れ続ける女子高生のように。

「東京的なるもの」教の衰退

 さて、敬虔なる田舎者が熱心に信仰したおかげで、東京と地方のタイムラグがほとんど無くなった。しかしそのこと自身が、「東京的なるもの」への憧れを狂わせ始めている。


 ラグがなくなったこと、戒律が複雑化したこと、若者にお金が行き渡りにくい状況であることなどが相まって、東京在住でも地方在住でも、都会的なるものを実践するのはへの幻想が破綻しかけているのだ。ここでいう都会的なるものとは先述のとおり、東京をメッカにしてコピーされていく、ファッションや音楽などの消費物だ。偶像が壊れるとそのような消費は減る。これが昨今のメディアのいう「最近の若者は物欲への願望が薄れている」「若者の○○離れ」などの警鐘の正体であると思う。


 しかしこれはある意味で当たり前のことだ。普通の宗教は死後の安楽を求めて行われるのだが、「東京的なるもの」教は生きている間の幸せを説く。言い換えると、従来の宗教では来世のために今世頑張れと教え、東京なるもの教は将来のために今、苦労せよと説く。


その一方、いろいろあってメディアが報じる「歪な理想」が実は存在しないんじゃないか、と信徒たちが肌で実感し始めた。今努力できるのはこのあと幸せになれる期待が、努力が報われるのだという展望あるからだ。将来の幸せという偶像が打ち砕かれたとき、若いうちから「徳」を積もうとする若者はどれほどいるだろう。


 その上、熱心に教義に従ってきた田舎者たち(≠地方在住者)の財布は疲弊しきっている。徳を積めば幸せになれるのだ、いくらでもお布施を払うがいい、と言ったところで、財布は空だし、懐も寒い。ならば、心も「空」にして欲を捨て、宗教を捨てるというのは、むしろ合理的な判断のように思えるのだが、どうだろうか。



蛇足

 あと気づいたことを適当に書く。

 そういえば東京にはジャスコ的なものがないね。街そのものが複合商業施設の体だし、大体土地代が高いからデカいハコモノなんて置けないよね。移動手段が主に電車だから大きい買い物は出来ないし。土地代、交通手段が原因で都会と田舎では有効な手段が違うんだろうね。


 東京的なるもの教が衰退しても、東京への人口流入はしばらく続くと思う。だって車が要らないもの。お年寄りが増えてきたら東京の高度に発達したインフラは魅力的に映るかもだし、第一子供が東京で働いてたら近くに住んで他方が安心できるよね。これ以上過密されんのほんと困るんだけど。


 コピーできるのになんでお金がせしめられたかってパッケージでそれ以上コピーできないよう止めてたからだよね。でもCDはコピーできるようになったし、映画は録画できるようになったし、ゲームはマジコンが出回るし、書籍は中古とかデジタル万引きとかあるし。動画や音楽はyoutubeやニコ動でアマチュアでもいいモノはいくらでもあるし、テキスト情報と言う意味だともっと手軽に手に入るね。だからこの辺はそのうち破綻するのかな、と思うよ。既存業界はコピーできないよう強化する方針みたいだけど、いたちごっこだと思うよ。


 ファスト風土をつくるにもある程度の人口が必要だ。このまま地方の人口が減るとファスト風土を維持するコスとが払えないかもしれないね。今も、人口が少ないとか何らかの理由で採算が取れないような土地では、こういう東京なるもの教そのものが贅沢な人たちの戯言にしか思えないかもしれないね。
 

 どれだけインフラが高度になったって、人口が増えれば利用者の密度は上がるわけで、人間がたくさんいると衝突する機会も増えるわけで、すると外に出る人ほど住みにくい環境になると思う。つまり、若い人ほど東京で生活するのはダルいなーとか思うようになるんじゃないかな。東京は遊ぶ場所、暮らす場所ではない、って感じで。まあそれは今もあるか。


 元から東京に住んでる人にとって、メディアが作る東京と、自分たちが暮らす東京にはギャップがありすぎて、上手く信仰できないかもしれない。逆に千葉とか埼玉とかベッドタウンは東京ではないけど、仕事や遊びで東京に来るよ的な人のほうが、より効率的に布教できる対象といえるかもしれないと思うよ。


 あ、最後に、私は四国で生まれて東京に住んでるよ。地方には仕事が無いからね。薄給だから結婚もしにくいし、出産も難しいかな。核家族では祖父母に育児をシェアしてもらうことも難しいし。最近四国に吉野屋が出来たよ!やったね!セブンイレブンはまだないけどローソンやファミリーマートは増えたんだよ。便利になったね。素敵だと、思うよ。

*1:YANA1945 は前者をヨーカドー的であると表現している。「前者が都市部での日常を売る店なら後者は田舎で非日常=祝祭を売る店だ。」とも言っている。